フィリピン旅、終了~┐('~`;)┌
だいぶ休みました笑っ
いやー、フィリピンの旅中は、色々ありまして書くことがまとまらなくなってしまいました。
これからは切り替えて書き続けていきたいと思いますm(__)m
まずはフィリピンでの思いででも書きますか。
まぁ、とりあえず暑いです。
昼間は25度くらいやったかな?
僕は暑くて汗だくになるぐらいの気温が大好きなので、とても気持ちが良い日々を過ごせました。
今は乾期なのでじめじめしてる感じもあまりなかったです。
で、とにかく飯がうますぎです!
肉、ニンニク、油(ココナッツオイルかな?)がたっぷり。
日本の若い男性が好きそうな味ですね。
奈良の橿原でいうとこの橿スタ(橿原で人気の料理屋)みたいな味つけです。笑
変わったものもいっぱい食べました。
一番すごかったのは、卵からひよこになりかけの状態のやつを、衣をつけて揚げて食べる『バロット』ってやつですね。
味は、ゆで卵にレバーの味が合わさった感じで不味くは無かったです笑
次いったときは是非作り方を教わりたいと思います。
僕たちが泊まったホテルは、マニラからすこし離れた(10キロくらいかな?)ケソンシティーのトーマスムラートっていう通りにあるストロベリーホテルに泊まりました。
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これは前も言ってましたね。
この10日間で一番インパクトが強く考えさせられた(いま絶賛考え中やけど)ことを書きます。
前も書きましたが、僕たちが止まっていたホテルのそばにストリートチルドレンたちがたくさんいました。
仲良くなって、毎晩そこを通るたびにみんなでご飯を食べたり、写真を撮ったりしていました。
その中の一人にポールという15歳(たしか)の男の子がいて、僕はその子と話す機会が多かったんです。
ポールは、たまたま少し英語が話せたました。
僕は、タガログ語(フィリピンの言語)をほんのちょっとしか勉強していかなかったので、トイック570の実力(これでなんとか大学の単位が取れました笑)を活かし、話していました。
『もし、お金がいっぱいあったら何したい?』
『将来は何したい?』
など、お互い合ってるのかわからない言葉でたどたどしくやっていました。
ポールの将来の夢は、医者になることだそうです。
『もし、医者になったらここにいる仲間たちを助けたい?』と僕が聞いたら、ポールは『もちろん!』と答えました。
今は、学校にも行けていないポールたちがこんな夢を叶える可能性があるのかどうか、僕にはわかりませんでしたが、ぜひ夢を叶えてほしいと思いました。
数日後、ポールの姿が消えました。
周りにいた子達に聞いたら、『ポールはサクサクされたよ』と答えました。
サクサクとは、刃物で体を刺されることでした。
ポールは救急車で運ばれ、緊急病院にいました。
血まみれのポールでしたが、意識もはっきりしていてしゃべることができました。
大丈夫?と聞くと、ちっさな声で、大丈夫と答えました。
何で刺されたの?と聞きましたが、なぜかはわからない。と言いました。
夜中の緊急病院は、なぜか怪我人がたくさんいて、患者が廊下にあふれでてる状態です。
医者も、場所がないのかすぐそばでコーヒーを飲みながら休憩していました。
ポールの治療費は1000ペソでそこに薬代と病院での宿泊費(1泊400ペソ)全部会わせて3000ペソくらいかかりました。
保険に入ってないポールたちは、これらが全額負担です。
1日の収入が100ペソにも満たない彼らには到底払えるも のではありません。
たまたま、僕たちがそこにいたからなんとかなりましたが、もし、僕たちがいなかったらポールはどうなっていたのか。
想像できません。
なんとか、親戚の人と連絡がとれて迎えに来てくれて、2,3日後に退院できたみたいです。
いまでもポールとは、Facebookを通して連絡を取り合ってます。
パーキングや、ゴミの分別の仕事でてに入れたなけなしのお金を使い、ネットカフェ(3分5ペソくらいで使える)から送ってくれています。
日本とフィリピン、生まれてきた場所が少し違うだけで、生活がこんなにも違います。
子供に罪はないと思うんです。
この貧困は何なのか?
僕ら日本人が、関わってることがたくさんあります。
商社だとか、外交とかじゃなくて、僕たちの生活のなかで、貧困に手を貸してることがあるんです。
ここをもっとみんなに楽しく伝えて、行動に移してもらえるようにしたいんですが、こーいうことをどーやって楽しくできるのかはわかりませんが、できることからやっていきたいと思います!
ん~。
おもろいことも書かんとみんな読んでくれんくなりそーやし、次はまた、妄想日記でもかきましょかね(T-T)
では!また明日!
書けたら!笑
ばいならφ(゜゜)ノ゜